早や独立開業して15年

経営

中小企業経営者の皆様へ

 
今回のテーマは【早や独立開業して15年】です。

 
私は和歌山県出身で、大阪の大学に行き、就職は大阪で探していたのですが、結局地元の銀行に就職しました。当時30年前ですから、今のような雇用の流動化時代が来るなんて想像もできず、銀行に永久就職するものだと思っていました。

 
私の両親は商売人でした。その大変さを子供のころから見て育ちました。土日休みなく、毎日朝から夜12時まで働いていました。反対にサラリーマンの生活が全く良くわからなく育ったと言ってもいいです。親からすれば和歌山で銀行員になると言ったときに、喜んでくれました。

 
そんな私が、15年後、当時38歳だと思うのですが、『銀行員を辞めて独立開業する』と言い出したのですから、嫁の両親も私の両親も驚きだったと思います。その前に東京に出向していましたので、36歳で和歌山を離れて生活していました。今思えば、商売人の息子の血が騒いだのでしょうね。

 
両親のルーツに戻りましが、私はもともと自由人なんです。サラリーマンのようなこびった人付き合いが出来ず、仕事は仕事、家庭は家庭って感じで割り切って、自由に生きたかったのだと思います。銀行組織の軍隊のような右向け右的な組織には、当然耐えられるわけもなく、毎日悶々としていました。

 
そこで出会ったのが、「資格」なんですね。最初の資格は中小企業診断士の資格です。この勉強は、めちゃくちゃ面白かった。人生を変えてくれた勉強と言っても過言ではありません。銀行の内部では視野の狭い学びしか得られなかったのですが、診断士の勉強は経営戦略、マーケティング、財務、労務など、経営理論を一通り学ぶことが出来ます。しかもコンパクトに。これがとても私には合っていました。人間、理論を学ぶと活用したくなります。それで銀行の現場で色々試しながら仕事の成果を上げるようになりました。

 
次の資格は社労士です。これは法律を覚える。ひたすら覚える。あまり、私には合っている資格とは思えませんでした。しかし、独立開業するためには、税理士か社労士は必須と思っていたので、覚えることが不得意な私が、この3年間ほど、苦痛に耐えながら勉強した時はなかったです。めちゃくちゃ必死でした。土日は子供と嫁を実家に送り込み、私は和歌山から大阪まで毎日例外なく勉強の為に通学していました。今から思えば、良く嫁さんは耐えてくれたなと思います。この社労士資格のお蔭で、弊社はリーマンショックにも耐え、いまだに事業を継続出来ています。社労士資格はコスパが最も良い資格と自負しています。皆さんにお勧めです。

 
38歳で、独立となります。無性に今までインプットした知識をアウトプットしたくなったんです。というより、東京でコンサルしても、何度でも失敗できそうな気がしたので、根拠のない自信がありました。今から思えばビギナーズラックが結構あったのも事実です。東京で銀行員の肩書の間に、夜な夜な、土日を使い、交流会に参加して人脈を構築して行きました。このころの交流会は色々な人に出会えるので、実に楽しかった。

 
そんなこんなで、15年経ち、色々な出会いがあり、色々な別れがありました。基本、ねっとりした人付き合いが苦手で、どんな人とでも、あっさり付き合っていくタイプなので、人からは「つめたい」と言われますが、実は内面はそうでもない、結構あったかい人間だと自分で思っています。頼られない限り、表に出ないタイプですので、普段はくすぶっています。南本は53歳になり、人の好き嫌いも多く、取扱いが面倒かもしれませんが、実に人情派だと自分で思っています。ホント、頼られればたくさんエネルギーを出すのですが、頼られないと力は一切出しません。そんな人間です。あしからず。

 
今日のブログは南本の取りとめもない振り返りでしたが、最後まで読んでいただいた方には感謝申し上げます。

 

南本